33歳*コウノトリはどこよ?!

多嚢胞性卵巣・タイミング3年・AIH2回→検査薬は驚きの白さ!!妊娠という都市伝説を探して今日も歩いてゆく。。

目の前にある、大切なものをなくさないように。

こんばんは、由佳です。

なんか、書くのに2日かかった・・・。

ぽつぽつと、そしてやっぱり長めのつぶやき。









通院をやめよう。

うっかり目指しちゃう
自分の思う「普通」を目指すのをやめよう。


このままでは、
失ってしまうものがある。

心身の健康と
余裕と、夫婦仲。



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「ゆかは本当に子供がほしいの?とてもそうには見えない」
「誰かと一緒とか、そういう考えなんじゃないの?」

そんなことを旦那さんに言われて、ぐうの音も出なかった。


その通りだった。




私は何のために生きているのか?


多数派の世界に在籍できれば幸せなのか?



小さいころから、当たり前だと思っていて
自分も同じ道を歩くに違いないと
何の疑いもなく過ごしてきた。

そうあることが幸せなのか不幸なのか、
そんなこととは関係なしに

「そうあるものだ」と思いながら大人になった。


本当は想像しようとしてもあまり出来ないし
ピンとも来てなかったけど

そんなことは取るに足らないことだと思っていた。


それ以外の道は
考えたこともなかったし、

考えることすら、怖くて出来なかった。


「子供がいない、かもしれない人生」


考えたこともなかった。

本気では、考えたことがなかった。



結婚前から病院へ通って、用意周到だったし

クソ痛い検査も
発がん性を疑いながらの投薬も
不安でうまく眠れない高温期も

道から外れない多数派の「普通の自分」でいられるのなら
大したことではないと思っていた。


人と違うのは怖いことだと、
根底にぴったりと張り付いていて

それが見えてしまわないように、
必死に隠すことだけを考えていた。



でも私は

おかげさまで、あまり根性がなくて(笑)

無理をしすぎることもなく、
倒れる前の前に手を放してしまう。


でもそれで良いのかなと思う。


本当に大切かどうかも分からない「普通の自分」を追いかけてるうちに
もっと大切なものをなくさずに済むのなら。



無理はやめて
その余ったエネルギーで
見たくない、触れたくなかった部分と向き合って

歯をギリギリさせながら
触れていく力に変えるしかない。

「堂々と、そして自分が納得できる人生にしたい。」

そこだけは譲りたくない。





以前の記事に書いた
私のもやっとした部分はある程度答えが出た。

①なぜみんなが普通に出来ることが私にはできないんだろう。私はどうなってしまうんだろう。という劣等感にこの現象を利用している。

A.周りと歩調を合わせようとするあまり
自分自身の願望をおざなりにしていたから
出来ないことにこだわり、苦しくなった。
という方がしっくりくるかも。

どうにもならないことを問題と捉えて解決しようとしていたけど
そもそも、それ以外の道を想像するのが怖かっただけ。
どこかで「不幸になる」と決めつけていたのかもしれない。



②自分の体の中は一体どうなってるんだ?不調部分の原因が知りたい、という単純な疑問。

A.ある程度の検査が出来てので
まぁまぁスッキリした。
足りない要素は漢方で補う方向で。
もうちょっと体力(エネルギー)が必要かなー。



③肝心の「自分は子供がほしいのか」の問いは保留のまま。
(欲しかったり欲しくなかったり)

A.今までも、これからも
きっと0%にも100%にもならない。
最初からそういうものだったんだ。
白黒つける必要なんてなかった。

欲しいと思う自分もいるし、
欲しくないと思う自分もいる。
甥っ子が可愛い分、これからも気持ち的にウロウロする。
でも、それでいい。

どちらかの道を進み、過ぎ去ったあとの人生の中で
胸がキュッとなるような感情を味わうのも、
それもまた人生の醍醐味なのだろう。







というわけで

泣きころんだ末に
通院やめまーす。

転院して数か月なんだけど(笑)
投薬の量がちょっと私には多すぎて
数値的にはイイんだろうけど
体が気持ち悪い・・・。
(そしてなぜか排卵時期と出張が被って慌てるし)

試す手段は、まだたくさんある。

でも自然と
「あぁ、もう病院は行きたくないなぁ」と思ってしまった。

旦那さんには
「体にこれ以上たくさんの薬を入れてほしくない」と言われた。

でも自分は通院しないと絶対子供は望めないと思っていたから
やめる=諦める
になっちゃうんだけど(思考的に)

それもわかんないし。

幸い、出来る検査はしてもらったから
体のことは知れたし
だいぶスッキリした。

もっと詳しく調べれば色々出てくるのか分からないけど
そこまで知る必要性は感じてなくて
ステップアップもしないというのが私と旦那さんの希望。

どうしても授かりたいという気持ちがあったなら
そうしていただろうし、
気持ちもそこまで辛くならなかったはず。

でもやっぱり、
そこに充てる時間とお金のことを考えると
「もっと楽しいことが出来るなぁ」と自然に思ってしまうから。

もちろん、ステップアップが悪いということではなくて
自分たちの希望、ということです。


しばらく、漢方だけは続けることにして
あとは流れに任せよう。

あとは神様の采配で。

このまま夫婦二人だったなら、
私はそのシナリオを抱いて生まれてきたということだろう。

それがこの人生で選んだ、私の幸せなのだろう。



とか言いつつ、
また数年後にはどっかの病院行ってるかもしれないけど

今は、
「絶対こうでなければならない」を手放して

道を外れて草むらを歩いても大丈夫なのだと
そう自分に言えるようになるための時間にする。


これから考えることは

「旦那さんとどうやって楽しく生きて行こうか」
「自分自身にとって楽しいことを少しずつ見つけていこう」

こんなことです。


さっき、出張中の旦那さんと
「次に引っ越したらワンちゃん飼いたいね」
っていう話をした。

子犬の画像をいっぱい送ってくれた。

コーギーとか、いいなぁ。。






きゅーん♡





かけていたエネルギーの方向性を変えよう。

たぶん、こっちの方が根本解決だわ。


探ってたらこんなのも書いてたし。

『置いていかれちゃう』


ああ、苦しい。苦しい(笑)


どうしてもこだわってしまう
フツウとアタリマエという幻想。

そこを歩いていない他人は割と羨ましく思うのに
自分にはなかなか適用できませんね。




ま、なにはともあれ
ひとまず2年間(通院は3年?)に一旦終止符です。

私のやりたいように資金援助した挙句ケンカ三昧だった
かわいそうな旦那さん、お疲れさまでした・・。

もう少し機嫌よく毎日が送れるように
がんばります。


あ、週1のカバサールどうしよう・・
勝手にやめたらダメな薬だったような(笑)