33歳*コウノトリはどこよ?!

多嚢胞性卵巣・タイミング3年・AIH2回→検査薬は驚きの白さ!!妊娠という都市伝説を探して今日も歩いてゆく。。

「ご縁」の中で生きる。

こんばんはー、由佳です。

 

昨日マックで書いた話その①。笑

 

 

 

最近、人様のブログを見ていて

ふと思った。

 

何事も「ご縁」なんだなぁって。

 

どう頑張っても上手くいかないこともあるし

すれ違うことや

タイミングの合わないこともあるし

 

逆に

何も考えなくてもたまたま上手く行ったり

巡り合ったりすることもある。

 

少しのタイミングのズレがあったら

出会わなかった縁もある。

 

旦那さんとの出会いもまさにそうで。

 

 

「どうにかしよう」と意識的に

物事を動かすことを出来るとしたら

自力では1mmくらいのもんで

 

もしかしたら自力で縁を操作しようとした結果

本来の自然な縁を捻じ曲げてしまっているだけになるかもしれない。

 

あのときああだったら

もっといい人生だったかもしれないと

思うことがあったとしても

 

それって本当か分からない。

 

本当はもっと悪いことになってたかもしれないんだから。

 

あの日あの時、行かなかった道に進んでいたら

その先でとんでもないトラブルが起きていたかもしれないよ?

 

あの日あの時、行かなかったから

生きていけてるのかもしれないじゃない。

 

それは誰にも分からないけど

そんな未来だってありえたという話。

 

失敗したかな?間違えたかな?そう思ったことでも

実は大正解で最良の道だったかもしれない。

 

 

そもそもさ、

 

神様はきっと私にいじわるなんかしたりしない。

 

だって、私だよ?(意味不

 

なんで私が神様からいじわるされなきゃいけないの?

 

よきにはからってもらってるに違いないじゃない!笑

 

きっと悪いようにはならないよ。

 

なんて、妙な自信が心のどこかである。

(すぐ疑うけど。めっちゃ疑うけど。)

 

 

 

私が私のままでいて

そこに訪れるもの。

 

それが私にとっての運命であり、縁であるのでしょう。

 

そして最善であるかもしれないということ。

 

私はそれをなるべく受け入れていけばいいんだなぁと

ぼんやり思った。

 

 

 

 

 

それならば、

我が家に子供が来るのか来ないのかも

「縁」の話だというならば

私はそれを最善だと思って受け入れるのが

一番の幸せの道だということになる。

 

 

本当に望んでいたら

そのための行動は起こすと思うけど

 

自分の度量を超えたところで

何かを操作する必要はないのかもしれない。

 

この件に関しては

度量を超えると分かりやすく

夫婦仲に亀裂が入るということが分かってきたしねぇ。

 

 

「神様が自分には最善を与えてくれるだろう」

という根拠のない自信を持ってみる勇気が

あってもいいのかもしれない。

 

 

そんなことをぼんやり思った数日後に

私は期日が来たので検査薬を試したら

まあこれまた漂白剤塗ったかのような白さに白目向いて

 

「これも最善か( ̄▽ ̄)」

と思うしかないのであったー。(オチ)

 

 

その日の午前中だけはふて寝した。

 

 

 

 

 

 

で、まぁ最善は最善として受け入れる前に

 

自分が何を望んで何を望んでいないのか、

何をしたいか何をしたくないのか、

 

ということを明確に把握しておくことが

一番大事なんじゃないかなぁと思ったりもしてる。

 

これ、意外に分かってなくて。

 

気付いたら

親や世間が望んでることを望んでいたりして。

何となくそれが普通だと思っていただけだったりして。

 

はたまた、

望んでないと思っていた現実が実は望んでたことだったりして・・・。

 

疑ってみるとちょっと面白い。

 

この辺の現実的な行動に関しては

あかねちゃんがとても上手いので投げる。(笑)

 

 

それが分かってる上で起こるできごとが

「ご縁」なんじゃないかなぁ。

 

あとはその「ご縁」の中で

どうやって幸せに生きるかを考えるだけだ。